若桜木虔メール通信添削講座 体験談 その25


朝日時代小説大賞応募体験談 服田さん

 若桜木先生の通信講座を受講する前は、某創作学校の通信添削を受講していました。その学校は、一年に十回の課題をこなして提出すると、修了証書が送られてきて自動的に上のクラスに入り、再び原稿十枚以内の課題を十回提出すると、二枚目の修了証書が送られてきて、さようなら〜、という学校です。
 ぺらぺらな修了証書を二枚手にしたものの、短編(というより掌編)を産出しただけに留まり、また、担当してくださった何人かの講師の先生が、どういう方でいらっしゃったか、フルネームすら最後まで知らされないままに終わってしまいました。

 インターネットで、次なる講座を探していたときに発見したのが、若桜木先生のホームページです。
 長編が対象で、プロットから見ていただける点に、魅力を感じました。すぐに申し込みをしました。
 若桜木先生の添削では、会話の、かぎカッコのあとに、彼はそう言った、とでも書こうものなら、「●そう、ではニュアンスが伝わりません」「●かぎカッコのあとに、《言った》と書くのは、《馬から落馬》と同じです」と、チェックされます。前述の学校で、「そう言った」の言葉を、何度も使用してきただけに、目から鱗でした。
「若桜木先生のご指導は、前の講座とは百八十度、異なっている!」と、衝撃に近い印象を抱きました。
 先生のご指導どおりに書いていって、はじめて四百枚近い長編を書き上げる方法を覚えました。

 若桜木先生の講座を受講しはじめてから約一年後、二〇一○年の二月でしたが、町田のイタリアンのお店で行われた新年会に参加しました。会場では、たまたま、わたしの近くにいた人たちが、皆、時代小説を書いていらっしゃり、国会図書館で調べものをなさっている話などを聞きました。現代小説しか書いていなかったわたしには、新鮮な交流でした。
「時代小説って、会話の言葉が難しくないですか?」と、同じテーブルにいた人に質問してみましたら、「語尾を、《ござる》とかに変えるだけ」と、実に軽快なご回答をいただき、その気軽さが心地よくて、急に時代小説が身近に感じました。
 若桜木先生は、名古屋出身のわたしに、「名古屋が舞台の時代小説は、あんまりないから、おもしろいかも」と新年会の会場で話してくださいました。そのときに、次はわたしも時代小説を書こうと、心に決めました。
 といって、歴史に詳しいわけでも、時代劇に慣れ親しんでいるわけでもありません。
「江戸時代の基本知識がゼロの状態から、時代小説は書けるか?」という実験を始めたようなものでした。

 七歳の少年が登場する場面から書き始めましたら、「この名前は、幼名ではありません」と、冒頭からして若桜木先生のチェックが入りました。
「すみません。間違えました……」と、さらっと書き直しができれば苦労はしないのですが、「元服」という概念すら、わたしの頭の中には存在していなかったので、改稿も容易ではありません。どういう類いの名前が幼名なのか、インターネットで調べつつ、元服という仕組みをはじめて理解し、江戸時代の誰かの幼名を拝借してきて、主人公の名前に設定するという有様です。
 会話で「将軍様」と使ったら、「公方様」に変更され、殿様の名前を会話の中に混ぜたら、「諱(忌み名)なので、家臣は絶対に口にしません」等、本当に一から、教えていただきました。

 チェックされた部分を書き直しつつ、出来上がった小説を朝日時代小説大賞に応募したところ、一次選考を通過していました。
「江戸時代の基本知識がゼロの状態から、時代小説は書けるか?」という実験結果は、若桜木先生のご指導を仰げば、時代小説が仕上がるばかりか、一次選考も通過する、という結論に至っております。
 知識ゼロの状態からは、多少なりとも脱却しようと、最近は、図書館へ足しげく通い始めました。図書館の郷土史コーナーにある資料が、案外と、創作意欲をかきたててくれます。
 現在わたしが住んでいる同じ地域で、むかしむかしの江戸時代の人たちが、ああしよう、こうしようと、夢や希望を抱いて行動していた事実を、郷土資料から知ると、少なからず心を動かされます。殿様、武家、百姓町人などの身分に関係なく、江戸時代の人たちが、あれこれと考えながら頑張って生きてきたのが、そのまま現代に繋がっているという事実を、尊く感じます。
 魅力を感じた史実の断片に、拙い想像力を付け加えて、勝手なイメージで江戸時代の名古屋を脳内に復元させつつ書くのが、今は楽しいです。
 次は、二次選考も通過できるよう、精進したいと思います。
 ありがとうございました。

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