若桜木虔メール通信添削講座 体験談 その12

石川渓月さん 日本ミステリー文学大賞新人賞受賞

【若桜木先生の指導を受けて】

 先生のメール添削講座の受講を始めたは、2008年の5月でした。それまでも、小説らしきモノを書いていましたが、文字通り趣味の世界で遊んでいるだけでした。50歳を過ぎた時、「いい歳して、遊びで書いてどうするんだ? 本気で“小説”というものに挑戦したい」という思いが腹の底からわいてきました。自分の書いた作品で、世の中の人が楽しんでくれたら、というのは、以前から、漠然と持っていた夢だったことに、改めて気付きました。
 あわてて、小説の入門書を買い漁り、勉強を始めましたが、ルールはわかっても、具体的なことは、わかりません。年齢的にも、そんなに悠長なことは言っていられないので、正直、焦りました。

 そんなときに、インターネットで見つけたのが、若桜木先生のメール添削講座です。当時は、福岡市に住んでいたので、メールでの講座は有り難く、すぐに入門させていただき、当時、書き始めていた作品の概要を送りました。作品は、新宿・歌舞伎町を舞台にした、人情ハードボイルドでした。
 先生から返ってきたのは、最初のダメ出しでした。
「新宿を舞台にすると、先行作品が多く不利です。福岡に住んでいるのなら、舞台を福岡にして、博多弁で、ローカル色を思いっきり出してください」
 福岡は住んで1年程度だったので、これには、少々、戸惑いました。しかし、いったん入門したからには、先生を信じて取り組もうと頭を切り換え、早速、舞台を九州一の歓楽街“中洲”に変更しました。
 幸い、中洲を取材するのに、これまでと、何ら生活ペースを変える必要はありませんでした。職場の近くで一杯やった後に、中洲に繰り出すのも、自分に「取材、取材」と言い聞かせて、足を運びました。ただし、取材対象が中洲の場合、取材した日は、全く役に立たないという難点はありましたが。

 先生からの返信の速さには、当初から驚かされました。夜中に書いて送っても、翌日には、的確な指摘が返ってくるので、やる気が継続できたのだと思います。
「これではニュアンスが伝わりません。どんな表情・口調などで言ったのかを書く」といった具体的な指導から、句読点の打ち方、漢字の正しい使い方まで、細かく指導をいただきました。
 この作品の中で、最も時間がかかったのが、主人公が大きなピンチに陥るパートでした。最初の原稿に対して「主人公の捕まり方が間抜けです」の指摘。書き直しに対して「まだ間抜けです」。何度かやり取りがあって、前後も含めて、大幅に手直しをして、ようやくGOサインが出て、先に進むことができました。
 実は、このパートについては、最初に送った時に、「若干、甘いかな」という思いがあったのですが、言ってみれば、自分に妥協してしまった面がありました。先生から「主人公が、間抜け」と指摘された時、妥協して、目を瞑ってしまった自分が「間抜け」と、叱責を受けている気持ちになりました。
 この部分のやり取りで、他人様に読んでいただく作品を書くのに、妥協は許されないという、極めて当たり前のことを、改めて教わりました。
 その後は、とにかく「自分で納得できないモノは提出しない」「出し惜しみをしない」と、自分に言い聞かせながら、書き続けました。書き上がった時には、それまで貯めていたネタ、洒落たと思って取っておいたセリフ回し、その他、持ちネタを全て使い切ってしまいました。したがって、今は、空っぽの状態です。でも結果的には、これが良かったのだと思います。

 作品が最終版に差し掛かり、先生から、応募先を「日本ミステリー文学大賞新人賞」と言われた時も、「この作品は、ミステリーではないので……」と思いましたが、先生は「この作品なら、この賞が狙い目です」と断言されました。
 賞が決まって、編集の方と会った時に、「中洲を舞台にして、博多弁で通したのが新鮮で、評価が高くなった」と言われました。
 小説の内容や表現だけでなく、それ以前の、基本的な方針から応募先まで、全て、若桜木先生の言われる通りでした。歌舞伎町を舞台に、妥協したり、弱い表現に目を瞑ったりしながら、一人で書いていたら、今回の受賞は絶対になかったことは、間違いありません。先生には、心から感謝しています。

 50歳を過ぎて持った夢。まだ手が届いたとは言えませんが、スタートラインには、立たせてもらえたと思っています。これからも、先生の指導を受けながら、中年男の夢の実現に向かって頑張っていきます。
 本当に、ありがとうございました。

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